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手をつないで歩こう

メンタル系です。

「愛を乞う人」

観ました。良かった。すごく良かった。

主人公・テルエ(原田美枝子)は現在高校生の娘を持つ母子家庭。実はテルエは赤子の頃から実の母親(原田美枝子二役)に折檻され続け、17歳で母親の元を逃げ出した被虐待児でした。実母はテルエの父(台湾人)に暴行魔から助け出され、一緒になりテルエをもうけました。けれど、父親を独り占めしたかった母はテルエを執拗にいじめ抜きます。

父親はテルエを連れ、母親の元を去りますが、まもなく病気で他界します。一時は施設に居たテルエでしたが再び母親の元で暮らし始めます。そこには別の父親と弟がいました。母親は相変わらずテルエをいじめ抜きます。中学を出て働きだしたテルエは弟を連れて自立しようと心に決めていましたが、またもや母親の身勝手で引っ越しを迫られます。もちろん稼ぎは全て取り上げられていましたが、とうとう堪忍袋の緒が切れてテルエは「もう嫌だ」と言って逆らうのです。追いかける母親を弟が引き留めます。「姉ちゃん早く行け」と。

その弟が数十年後、警察に捕まって接見に行くところから話が始まります。父親は実の父親以外に二人。義理の父親の墓を見つけたことから、実の父親の遺骨探しが始まりました。最終的に遺骨は見つかりますが、それが全てではありませんでした。テルエが必要だったのは母との決別(精神的な)でした。娘の協力を得て、母親との再会が実現します。優しい母親を夢描いていたテルエはそこで現実を突きつけられます。母から愛を得るなど本当に夢物語だったと悟るんです。

それを言うためにと言えば、長い長い話しですが、まだまだ言い足りない気持ちがあったと思います。これは映画ですからね、時間も限られているし。母親を切り離すと言うことはとても苦しいことです。身を切られる思いです。酷い母親だとしても。それを丁寧に描いていると思いました。

回復の進んでいない方には辛いかと思います。でもいつかきっと勇気が出た時に観て頂きたいと思います。この映画では母親との事が主だったわけですが、人は誰しも男も女も「産んでくれた人=母親」には父親にはない感情を抱いている物だと思います。その事が改めて感じられました。

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愛を乞う人

色んな方面に辿り着いていくもんですね。今度は映画です。買おうかなと思ったけど、思い直してレンタルショップへ行ってきました。あったあった。何かメッセージが届くといいな。

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期間限定ミルキー


今度はパイナップル味!!

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ダイエットとはほど遠く・・・


最近はまちゃって・・・ます

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色んなタイプの教師

子どもが4人いると、それぞれが進級するたびに担任が替わるとして、色んな先生を見てきました。今のチビの担任は今まで受け持って貰ってきた先生とは違う印象を感じています。何て言うか前向きなんです。

チビ(小3)は他の子と比べると変わった子どものようです。手がかかると言うか、すっごい恥ずかしがり屋で、異常に失敗を恐れています。「過去に責められたとか、ひどく叱られたとかありますか?」と聞かれましたが、私には思い当たらないのです。

学校で、機嫌の良い時ははきはきと答えられるし、自分から進んで行動出来ますが、何かをきっかけに「固まってしまう」状態が見受けられると教えて頂きました。先生が言うには「あまりに純粋」と言うことでした。

家での様子や、幼少の頃の話をしました。保育園の頃から「先生に叱られる」と言って嫌がっていたこと。保育園の先生に何度か聞きましたが、そんな事はなくて注意されていることを「叱られている」と感じていたようでした。その点は今の先生も気を付けてみますとおっしゃって下さいました。

あと、言われて気が付いたのですが、放課後、ほとんど遊びに出かけないんです。兄弟がいるから出かけなくても遊べるので、何度か即して来たけれど、その気がないようでした。その事が、同年代の子どもとのコミュニケーション不足になっているのでは?と言うこと。

子どもなら遊びながら町のあちこちに出かけて、それが、自分の縄張りと言うか、陣地と言うか、意識の拡大に繋がって自分に自信が持てる要因になると思うんです。地域や人々に受け入れられると言うか。それがなくて、自分をどの基準で判断すれば分からないのだと思えてきました。周りは自分より大きい人ばかりだもの。

それが、自分が出来なくてはいけない・・・と思う基準を高くしているのかもしれないと気が付きました。まずは同じ歳の子ども達とコミュニケーションが取れるようにしてみましょうと言うことになりました。今まで、そんな視点で話す先生はいなかったので、すごく親身に見てくれているんだと感じました。先生によって違うとは分かっていたけど、私も妙なプレッシャーを感じることなく支えて行けそうです。

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親を殺した子ども達

と、言う、恐ろしい題名の本を読んでいます。内容は外国の親殺しの子どもの事件を扱っています。でも題名で受けた印象と違って、あらゆる角度からこのような事件はなぜ起こるか??を検証した内容になっています。つまり機能不全家族の本です。その親の親のことも遡って「起こるべくして起きた事件」だと言うことを唱っています。

どの子も親を捨てきれず、自立出来なかった。そんな思考回路に仕立てられているから抜け出したくても抜け出せなかったのだ。そして足かせになっている親・家族を殺すことで自由を得る。この「自由」は精神的なものであって、現実的には殺人犯として囚われる。だが、その自由こそが渇望していたものだった、、、と言うことが悲しくも切ない。

あっさり親を捨てて自立する子どもは「親を捨てた不幸者」「勝手なやつ」「自分の事しか考えない」と言われる。さて、この場合、親と子、どちらが「不幸者」「勝手なやつ」「自分の事しか考えない者」なのか。世間に問うてみたい。

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フォークギター

最近息子が興味を持ちだした。と言うか、今頃??って感じ。この秋から受験なのですが、お気楽と言うか、遅れてると言うか。まぁだからといって、夜通し夢中になってるワケでもないし。理由を聞いてみたんです。「なんでいま?」って。言い分もあるもんですね。取り柄がないので、と言うのと、何かスキルを身につけたくて、と言うもの。フォークギターでスキルが身に付くのかどうか分かりませんが、色んな考えがあるもんだと。私の若い時代は中学でフォークソングにはまって、中学でギターが弾けてました。久々に弾いてみようと思っても、今の歌を知らない。これも結構ショックです。

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執着をやめる

離してくれない、離してくれないと囚われる。それは自分の執着を見えなくしている。離してくれなくて困るなら、離せ!と言えばいい。言っても駄目なら怒ってやれ。それでも駄目なら放っておけ。もしも、言うことにためらいがあるのなら、心の奥で「離したくない」と思っているのかもしれない。考えたことありますか?

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模倣犯



*模倣犯著:宮部みゆき

商品の説明

出版社 / 著者からの内容紹介
公園のゴミ箱から発見された女性の右腕、それは史上最悪の犯罪者によって仕組まれた連続女性殺人事件のプロローグだった。比類なき知能犯に挑む、第一発見者の少年と、孫娘を殺された老人。そして被害者宅やテレビの生放送に向け、不適な挑発を続ける犯人――。が、やがて事態は急転直下、交通事故死した男の自宅から、「殺人の記録」が発見される、事件は解決するかに見えたが、そこに、一連の凶行の真相を大胆に予想する人物が現れる。死んだ男の正体は? 少年と老人が辿り着いた意外な結末とは? 宮部みゆきが“犯罪の世紀”に放つ、渾身の最長編現代ミステリ。。。(アマゾンより転載)

「模倣犯」と言われ逆上した真犯人が、テレビカメラの前で自らをさらし出す「俺は模倣犯じゃない。俺は俺だ」。長い長い事件がようやく終わる。一家殺害の被害者塚本真一を取り巻く過去の事件と、新たな連続殺人事件の当事者・関係者が織りなす二つの事件が、ルポライター前畑滋子を通して一つになっていく。この話しが長いのは、登場人物それぞれのドラマが描かれているからです。フィクションなのにとても人間くさいと感じました。機能不全家族による狂気、荒れる心。そして犯罪被害者の遺族達の心の葛藤。誰もが自覚のないまま、事件のPTSDを抱えている。そして、犯人を恨み、事件を恨もうとするが、結局は自分との戦いだと気が着いていく。

一家殺害事件の被害者塚本真一少年と連続殺人事件の被害者古川鞠子の祖父有馬義男。お互いが別々の事件で心に傷を持っている。あの時、こうだったら。あぁしていれば。罪悪感にさいなまれ、自分を責める。しかし、それは自分が自分を責めて逃げているだけで、問題の本質に立ち向かっていないと気づいていく。それぞれがそれぞれの心の傷とどう向き合っていくか。それこそがいまやるべき事だと、義男が言う。真一は何かが落ちたように心が晴れていく。もう迷うことはない。今を生きて行くんだ。

「それがそうだよ」と誰かに言われなければ、自分の反応がPTSDから起きているとは解らない。私もようやく解りかけてきたばかり。彼らも同じだった。なぜそう考えてしまうのか、自分に不甲斐なさを感じながら説明がつかなかった。ますます自分が悪いと思いこみ、見えない迷路をさまよっていく。そんな中で、塚本少年は同じ心の傷を持つ老人との関わりがきっかけで問題を手放していく。老人は言う。「俺も歳だし、いつまでもこんな問題(事件を思って苦しむこと)につき合っちゃいられねぇ」「どこで自分と折り合いをつけるか、どう向き合っていくかが大事なんじゃねぇか」。

過去のことは変えられない。それよりも自分がこれからどう生きていくかの方が、ずっと大事だと言うこと。本編が長い長い前置きのように感じました。読んでみえない方はどうぞ。なお、連続殺人が女性ばかりを狙った話しなので、フラッシュバックが起こる可能性があります。注意して下さいね。

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思考回路

模倣犯の主人公は誰か?と考えたら、やっぱりこの少年かしら??と思って、とりあえず少年の話しを書きます。犯人ではありません。

彼は両親と妹を殺害された被害者。彼と、模倣犯の起こした事件と本質的に関わりはありませんが、後に「遺体発見者」として巻き込まれます。彼は家族を失った被害者なのに、その事件は自分が引き起こしたと言う思いにさいなまれています。一家は強盗に押し入られ、彼以外が命を落としました。少年が数日前にゲームセンターで「ウチに大金が舞い込んだ」という話しをしていたのを偶然耳にした犯人によって。

その犯人の娘が彼を追いつめます。「あんたのせいで私の父親は犯罪者になった。ウチも崩壊した。あんたは加害者だ」と言う。少年は何も言い返せない。彼自身が悔いているのもあるけれど、その少女に詰め寄られるたびに少年はPTSDによるパニックを起こしてしまっていたのだった。

自分さえ気をつけていたら...と言う罪悪感。これが本当は誰が悪いのか、問題の本質を解らなくしてしまいます。もちろん犯人が悪い。でも自分にも落ち度があった...と言う思いこみ。しかし、どんな誘惑があろうとも、加害者が悪い。被害者が加害者(わざと企てた)でなければ、加害者が悪いと言い切れると私は思う。

正直、心の回復が進んでようやく思えるようになった。それまでは、何につけても、自分も悪いとか、落ち度があると思ってしまう思考回路だった。自分以外のことなら、加害者が悪いとはっきり解るのに、自分が関わると何らかの歪みが生じてしまう。誰かから指摘されようと、その思いは変えられなかった。自分が気づいて変わらねば、そうそう変えられるものではない。

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